はじめまして、HP班長の中原と申します。
このシリーズはこのブログの更新頻度保持を目的として、全国の鉄道路線について書いていきたいと思います(当時の雑誌なども参考に…)
初回の今日は地方交通線に指定された最長の路線である天北線(てんぽくせん)です。
天北線の概要
天北線は日本統治下の樺太への連絡を目的として、初めて稚内まで到達した路線です。(厳密には現在の稚内ではなく南稚内)現在の宗谷本線ルートより、四年早く全通し1926年に天北線よりも距離の短い現ルート(当時の天塩線)が開通した後も廃止になることなく存続、1980年の国鉄再建法でも冬期の代替の問題が原因で当初は廃止路線から外され、1985年に前記の問題がなくなったとして指定、1989年にその使命を終えました。
急行「天北」
天北線廃止まで残っていた優等種別で札幌と稚内を結び、同区間を幌延経由で結ぶ「宗谷」の補完列車として運行されていました。キハ56や14系、キハ40を改造して特急列車として使用できるようにしたキハ400などが使用されていました。特記しておきたいのがキハ56から14系になった際に一年ちょっとの間ではあるが、サロン席が設けられたことです。これは14系客車にすることでグリーン車の設定がなくなったことの救済だと言われていますが、時刻表や車両にグリーン車表記が追加されることなく、利用状況が良くなかったことから廃止されてしまいました。なお、この編成は宗谷本線の夜行列車「利尻」でも使われており、そちらの方では盛況だったようです。
急行天北は天北線廃止時に宗谷と統合される形でその使命を終えています。
天北線のその後
天北線は廃止後にバス転換という形で1989年5月1日から営業を開始、沿線住民減少に伴う利用者減少などによる経路変更など行いつつも、現在まで運行が続いております。
初めて稚内到達したにもかかわらず、経路のせいで廃止にならざるを得なかった天北線、経営改革は厳しいものです。
拙い文章でしたが、いかがでしたでしょうか、またのお越しをお待ちしております。