日本が敗戦した理由(制度視点)
さて、今2012年現在、日本が戦争で敗戦してから67年経ちます。
戦争から半世紀以上経った今、僕は何故戦争が起こったのかを不意に気になりました。だから、それをどのような立場の人が、どうやって起こしたかということを僕なりに考えて、ざっくりと書いていきたいと思います。(今回は国内の制度の問題を取り上げます)
1.政治と軍隊が同格ということ
本来は(欧米は)外交があって、それにより戦争がおきる、つまり軍隊は政治の下にあるという当たり前の制度があるのですが、日本は上の図からわかるように事実上、天皇の下総理大臣、陸軍、海軍、が同格で存在しています。だから何か重大な秘密を軍隊が持っていても、それを隠し通せるほどの権力があるということです。
ここで、1932年に五・一五事件が起こり政党内閣が終わり、1935年に美濃部達吉の天皇機関説(天皇は国の最高機関であるだけで、主権者ではないという意見。 1920年までは政党内閣中心だったのでこれが主流だったが、軍部を中心に否定される。)が崩壊し、翌年の二・二六事件で政治家に恐怖を与えると、軍部が無理やり政治を握るようになるのでした。
もし、上の図に書いてあるような制度に日本がならなかったら、戦争の結果はまた変わっていたと思います。
2.アメリカを敵に回してしまったことの欠点
明治維新以来、日本の軍事・科学技術は欧米に依存しており、兵器の燃料に使う石油において日本はアメリカにほぼ依存していました。そこで第二次世界大戦が起こりアメリカから石油の輸入が止められると、日本は大東亜共栄圏を掲げて燃料を手に入れようと、東南アジアに進出しました。しかし、そこでも石油の乗った船をアメリカに沈められるなど、アメリカに行動を読まれていたのです。アメリカは敵に回してはいけなかったと、僕は思います。
3.外交の欠点
宣戦布告の対米最後通牒(国家の意思表示を相手国に知らせること。戦争をするためにやらなくてはいけない)が、真珠湾攻撃の50分も後になってしまいました。これは外務省がその文書の日本語から英語の翻訳を遅れたからです。海軍の人はこの件で外務省をよく責めたのですが、外務省だけを責められないと僕は思います。1941年に大本営連絡会議で、外交をするにあたって開戦の時期と攻撃地域を教えてくれと、その時の外務大臣東郷重徳が軍令部次長の伊藤整一に聞いたのですが、伊藤は「軍令に口をはさむとは、けしからん」と一喝したそうです。このように外務省は何も知らされていないまま、いきなり翻訳を頼まれたことを踏まえると、外務省より軍(ここでは海軍)のほうが責任はあると思います。やはり1.で書いた通り、軍は政治と同格にあってはならないと思います。
4.まとめ
上に書いた以外にも色々と敗戦の理由はあるのですが、今回は国内の問題からざっくりとまとめてみました。次は、軍の問題について書きたいと思います。
終わり Let it be.