今回は、江戸時代について書いていきます。江戸幕府は、豊臣秀吉の没後に勢力を伸ばしていった徳川家康によって1600年の関ヶ原の戦いの後の1603年に征夷大将軍に任命されて開かれました。また家康は、1615年に大坂夏の陣で豊臣氏を滅ぼします。江戸幕府の仕組みは、3代将軍家光の時までに整えられます。

江戸幕府の設立

幕府は、親藩・譜代大名・外様大名に大名を分け、親藩・譜代大名を関東から近畿に至る重要な地に配置して、外様大名を東北・四国・九州など江戸から遠い地に移動させました。1615年に武家諸法度を定め参勤交代を義務として規定しました。下のグラフは、松江藩の支出内訳です。

 

このグラフを見ると、参勤交代でかなりのお金を使っていることがわかります。ちなみに、参勤交代とは大名の妻子を江戸に移し、大名自身は1年おきに江戸と領地に住むように定めたことです。このように、家光の頃には将軍と大名の主従関係は確立していました。強力な支配力を持つ将軍と藩が土地と人民を支配する仕組みを幕藩体制と言います。

幕府は、朝廷に対して1615年に『禁中(きんちゅう)(ならびに)公家(くげ)諸法(しょはっと)』を定め、天皇・朝廷の権力を弱らせ、京都所司代をおいて行動を監視しました。また幕府は寺院・神社に対しても法度を定め、寺社奉行に監視させました。

身分制度

江戸時代には、このような身分制度がありました。

「士・農・工・商・えた・ひにん」

武士、農民、町人(職人・商人)、えた、ひにんに分かれています。

上の表は身分別人口割合です。百姓の人数がとても多く、武士が少ないことがわかります。

 

次回はえた・ひにんの暮らし、農民の暮らしを書いていこうと思います。

ありがとうございました。