今から、中学の歴史について、書いていこうと思います。

 

第1回  戦国時代の戦国武将

 

戦国時代=戦乱の世=下剋上の世

 

年表

 

室町時代

南北朝時代

戦国時代


 

明徳

めいとく

1390年〜1393

§  明徳3 [1392]

·         南北朝統一

 

 

応仁

おうにん

1467年〜1468

§  応仁元年 [1467]

·         118 - 応仁の乱が起きる(応仁・文明の乱)

天文

てんぶん、

1532年〜1555

  • 天文12 [1543]
    • 825 - 種子島へポルトガル船が漂着、乗船していたポルトガル人により鉄砲が伝来する。
  • 天文24 [1555]
    • 719 - 川中島の戦い 第二次合戦[犀川の戦い・さいがわのたたかい]

 

           

永禄

えいろく

1558年〜1569

  • 永禄3 [1560]
    • 5 - 今川義元の軍勢が織田信長領の尾張に侵攻。その数25千。
    • 519 - 桶狭間の戦いにて織田信長が今川義元を討つ
    • 1018 - 足利義昭が朝廷より将軍宣下を受け室町幕府第15代将軍となる。

 

天正

てんしょう

1573年〜1591

  • 天正元年 [1573]
    • 718 - 信長、足利義昭を追放する。室町幕府滅亡
  • 天正3 [1575]
    • 521 早朝 - 長篠・設楽が原の戦い[ながしの・したらがはらのたたかい]が起きる。
    • 62 - 本能寺の変、織田信長 自刃

 

 

今からは、有名な戦国武将について書いていきたいと思います。

 

織田信長について

 

織田信長・・・比延山延暦寺焼き討ちや長島の一向一揆の殲滅など苛烈な政策を行う一方で、キリスト教の容認や南蛮文化の受容、楽市・楽座など革新的とも評される政策を行ったことも有名。

天文3年(1534年)512日、尾張国の戦国大名・織田信秀の嫡男として、那古野城で生誕。天文20年(1551年)、父・信秀が没した為、家督を継ぐ。

1560年(永禄3年)に桶狭間の戦いで駿河の今川義元を破ると、三河(愛知県東部)において自立した松平元康(徳川家康)と同盟した。

1575年(天正3年)には長篠の戦いにおいて甲斐の武田勝頼を撃破し、一向宗をほぼ殲滅し統一政権を樹立する。

1582年(天正9年)、甲斐の武田勝頼を滅ぼすと中国の毛利氏征伐を企図するが、同年6月に京都本能寺において家臣の明智光秀に襲われ,嫡男織田信忠ともに自害した(本能寺の変)。信長の死後は織田家において羽柴秀吉が台頭する。

 

豊臣秀吉

 

豊臣秀吉・・・墨俣の一夜城、金ヶ崎の退き口、高松城の水攻め、中国大返し、石垣山一夜城など機知に富んだ逸話が伝わり、百姓から天下人へと至った生涯は「戦国一の出世頭」と評される。

 

尾張国愛知郡中村郷の下層民の家に生まれた。当初今川家に仕えるも出奔した後に織田信長に仕官し、次第に頭角を表した。信長が本能寺の変で明智光秀に討たれると「中国大返し」により京へと戻り山崎の戦いで光秀を破った後、織田家内部で勢力争いを起こし、信長の後継の地位を得た。大坂城を築き関白・太政大臣に就任、豊臣姓を賜り日本全国の大名を臣従させ天下統一を果たした。太閤検地や刀狩などの画期的な新政策で中世封建社会から近世封建社会への転換を成し遂げるが慶長の役の最中に、嗣子の秀頼を徳川家康ら五大老に託して没した。

参考文献

はてなキーワードhttp://d.hatena.ne.jp/keyword/%BF%A5%C5%C4%BF%AE%C4%B9

ィキペディアhttp://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%B9%94%E7%94%B0%E4%BF%A1%E9%95%B7

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%B1%8A%E8%87%A3%E7%A7%80%E5%90%89

 

 

最後に・・・

今回は、戦国時代の戦国武将について書きました。最後まで読んでいただきありがとうございました。どうでしたか??次回は、戦国時代の戦について、書いていきたいと思います。